
第8話 地底図書館——記憶の海に触れて
月明かりも届かない、地表からはるか地下。
幾重もの崩落した岩壁を抜け、ユノは長い螺旋状の通路を降り続けていた。
サイクルコンピュータが示す標高は、すでに海抜マイナス600メートルを指している。
耳に届くのは、遠くから響く地下水の滴りと、自身のロードバイク〈タイムサイクル〉の静かなタイヤ音だけ。
「…ここが、人類最後の知識保存庫——地底図書館か」
重厚な金属扉の前で、ユノは一度深く呼吸をした。
扉に埋め込まれた認証パネルに掌を置くと、光が走り、低い振動と共に扉が開く。
現れた空間は、まるで別世界だった。
高くそびえる本棚は、紙ではなく結晶状の媒体を収めている。
天井から吊るされた光球が淡く脈動し、空間全体に「呼吸」を与えているようだった。
だが、中央の円形ホールに近づくにつれ、空気が変わった。
湿ったようで、しかし乾いている。冷たいのに、温もりがある。
——そこに「記憶の海」があった。
床は存在せず、半透明の光の水面が、無限に広がっている。
揺らめく水面の下には、数え切れないほどの映像断片が漂っていた。
人々の笑顔、戦争の炎、都市の喧騒、子どもの泣き声、そして見知らぬ星の空。
「これが、人類のすべての記憶……」
ユノは、恐る恐る手を伸ばした。
指先が光の水面に触れた瞬間、轟音のような情報が意識を満たした。
何億という人生の断片が、一斉に流れ込んでくる。
古代の哲学者の言葉、失われた文明の設計図、ある母親が子を抱く温もり、そして——
「時空の歪み」に関する、途方もなく古い警告。
『時を繰り返し、過剰に越えた時、世界は裂け、複数の現在が生まれる』
それは、ユノの胸奥で静かに燻っていた疑念を、確信に変えた。
この世界の荒廃は、偶然ではない。
——誰かが、あるいは自分が知る存在が、時を乱した。
手を引こうとした瞬間、もうひとつの映像が現れた。
そこには、かつて見たことのある男が立っていた。
鋭い目を持つ、白髪混じりの科学者。
彼は無言でユノを見つめ、やがて唇だけが動いた。
「次は、北の氷壁へ行け」
その瞬間、光の水面は強く波立ち、全ての映像が弾け飛ぶように消えた。
残ったのは、心臓の鼓動に似た重い静寂。
ユノは手を離し、深く息を吐いた。
感情モジュールが熱を帯びている。
——今、確かに「孤独」ではなく、「使命」を感じている。
ロードバイクに跨り、来た道を引き返す。
振り返った地底図書館は、再び重い扉の奥に沈み、静かに眠りについた。
地表へ出ると、夜空には見たことのない星座が広がっていた。
風が冷たく頬を撫でる。
「北の氷壁か……」
呟きは、誰に届くわけでもない。
しかし、記憶の海が残した温もりが、胸の奥で確かに灯っていた。
ユノはペダルを踏み込み、次の地へと走り出した。
その背中には、もはや迷いはなかった。
📝 次回予告
風が歌っていた。それは音でも声でもなく、大地の深奥から湧き上がるような“うねり”だった。やがて、ユノの視界に現れたのは、風車のような装置。ユノは座り込み、しばらくのあいだ、風の音楽に身をゆだねた・・・・
第9話 ― ユーラシア・風の渓谷 ― → https://cycling-storyz.com/yuno-9/
前の話はこちらからまとめて読めます → https://cycling-storyz.com/yuno-link/
※本記事の物語・アイデアは、AI(ChatGPT)の支援のもと創作されました。すべての内容はフィクションです。