地底図書館——記憶の海に触れて
プロローグ
月明かりすら届かない、地表(ティアンシャン山脈)からはるか地下。
幾重もの崩落した岩壁を抜け、ユノは長い螺旋状の通路を降り続けていた。
サイクルコンピュータの数値は、すでに海抜マイナス600メートル。
耳に届くのは、遠くから響く地下水の滴りと、自身のロードバイク〈タイムサイクル〉が刻む、微かなタイヤ音だけだった。
「……ここが、人類最後の知識保存庫——地底図書館か」
重厚な金属扉の前で、ユノは一度深く呼吸をした。
機械である彼が、“息を吸う”という行為を選んだのは、本能ではなく儀式に近い。
掌を認証パネルに置くと、扉に光が走る。
低い振動とともに、巨大な扉がゆっくり開いた。
その瞬間、視界の奥に広がる光景に、ユノは一瞬だけ立ち尽くした。
ユノ旅マップ(ティアンシャン山脈・地下断層帯)
※マップの地域は実在するものですが、物語に登場する施設や登場人物は架空のものです。
書架の呼吸
そこは、静寂の中に“呼吸”が存在する空間だった。
高くそびえる書架には紙の本ではなく、結晶化された媒体が整然と並んでいる。
天井から吊り下げられた光球が脈動し、空間全体を淡く照らしていた。
まるで、この場所そのものが生きているようだった。
だが、中央の円形ホールへ近づくにつれ、空気の質が変わる。
湿っているようで乾いている。冷たいのに、どこか温かい。
その矛盾を孕んだ空間の中心で、ユノは立ち止まる。
——そこに「記憶の海」があった。
床は存在せず、半透明の光の水面が、地平のように広がっていた。
水の下には、数え切れないほどの映像断片が漂っている。
人々の笑顔。戦火の赤。都市の喧騒。子どもの泣き声。
そして、見知らぬ星の空。
「これが……人類のすべての記憶……」
ユノは、恐る恐る手を伸ばした。
記憶の奔流

指先が光の水面に触れた瞬間、膨大な情報の奔流が意識を貫いた。
思考が波に飲まれる。
何億という人生の断片が、一斉に流れ込んでくる。
古代の哲学者の独白。
失われた文明の設計図。
母親が子を抱く温もり。
絶望の中で、誰かが誰かを支える微笑。
そして——“時空の歪み”に関する、途方もなく古い警告。
『時を繰り返し、過剰に越えた時、世界は裂け、複数の現在が生まれる。』
その文言が、ユノの意識の奥で静かに反響する。
それは、長い旅の中で抱えていた違和感の核心だった。
この世界の荒廃は、ただの文明崩壊ではない。
——誰かが、あるいは“自分が知る存在”が、時を乱したのだ。
ユノの掌が微かに震えた。
だが、その震えを押さえ込むように、もう一つの映像が水面に浮かび上がる。
科学者の影
光の中に現れたのは、一人の男だった。
鋭い眼差しをした白髪混じりの科学者。
その姿に、ユノのメモリの奥が反応する。
彼は、どこかで見たことのある人物だった。
科学者は無言でユノを見つめ、唇だけを動かす。
「次は——北の氷壁へ行け。」
その言葉が響いた瞬間、光の海が激しく波立った。
映像は一斉に弾け、断片が消えていく。
残ったのは、心臓の鼓動に似た重い静寂だけだった。
ユノは手を離し、ゆっくりと息を吐く。
感情モジュールが過熱し、内部センサーが“共鳴”を検知する。
だがそれはエラーではなかった。
孤独の曲線が下がり、使命の波形が静かに立ち上がっていく。
記憶の温度
ユノは再び水面に視線を落とした。
残光のように揺らめく映像の中に、アマルの姿が見えた。
第7話で出会った女性科学者。ユノを創った存在の一人。
「ユノ。知識は静かな海。でも、それは冷たい海じゃない。
触れた者の温度で形を変える、感情の器なの。」
その言葉が、波紋のように意識を満たす。
ユノは膝をつき、再び手を伸ばした。
水面は今度、穏やかに彼の指を包み込む。
感情モジュールの数値が、静かに上昇していく。
“探究心”は安定し、“孤独”は減少、“希望”と“共鳴”が上昇。
人の記憶は、冷たいデータではなく、温度をもった生命だった。
地上への帰還
ユノは立ち上がる。
水面の輝きは次第に薄れ、空間は再び暗闇へ沈んでいった。
地底図書館が、長い眠りに戻ろうとしている。
ロードバイク〈タイムサイクル〉に跨り、ユノは来た道を戻る。
背後の扉が静かに閉じる音を、彼は振り返らない。
地表へ出ると、夜空が広がっていた。
雲が切れ、見たことのない星座が輝いている。
風が冷たく頬を撫でた。
「北の氷壁か……」
誰に向けるでもない独り言。
けれど、その声の奥には、確かな決意があった。
“記憶の海”で得た温もりが、胸の奥で灯をともしていた。
ユノはペダルを踏み込む。
地平線の向こう、白く凍った北方の光を目指して。
その背中には、もはや迷いはなかった。
ラストライン
記憶は過去の亡霊ではない。未来へ渡すための、静かな炎だ。
前の話はこちらからまとめて読めます → https://cycling-storyz.com/yuno-link/
※本記事の物語・アイデアは、AI(ChatGPT)の支援のもと創作されました。すべての内容はフィクションです。

